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うつ病のときに励まされた言葉~甘口編1~

ここでは、善吉が闘病時代に聞いたり、読んだりして
励まされた言葉をご紹介します。

これらの言葉が少しでもあなたに元気を
与えてくれれば、とてもうれしいです。

闘病時代に励まされた言葉~甘口編1~

なにがきみのしあわせ、なにをしてよろこぶ
わからないままおわる、そんなのはいやだ!

(やなせたかし)

 

マイナスの経験をした人は有利です。
してない人は、人の気持ちがわからなくなってきている。
わからないことすら、気づかずに生きてしまう。

(山田 太一)

 

心を開いて『YES』といってごらん。
すべてを肯定してみると、答えがみつかるもんだよ

(ジョン・レノン)

 

食べて飲んで楽しく過ごすのだ。
明日のダイエットにそなえて。

(ノーラ・ゼラバック)

 

『負けたことがある』というのが、
いつか大きな財産になる。

(堂本監督 SLAM DUNK)

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2011/04/11 | コメント/トラックバック(2)|

カテゴリー:甘口編

ぼくがうつ病を発病するまでの話 7

2007年3月 柏崎さんが会社を無断欠勤しました。

 

そのとき課内が、とても騒がしくなりました。

そして杉田課長の号令ですぐに、
香川主任が柏崎さんの家に迎いました。

柏崎さんの安否の確認のためです。
自殺している可能性もあるからです。

また柏崎さんは、実家を離れて1人暮らしでしたので、
実家へも帰省していないか確認の電話をいれました。
実家には、帰られていませんでした。

そして、杉田課長がぼくを呼びつけます。

『なんで、様子がおかしいことに気づかないんだ!!!』

『一緒に仕事してたら、わかるだろっ!!!』

『お前が負担をかけてたんじゃないのか!!!』

・・・・・
 

正直、様子がおかしいことなんて、
ぼくは気づきませんでした。

 

ぼくが、そんなに負担になってるなんて
わかりませんでした。

 

一緒に協力して、がんばっている気になっていました。

 

本当にぼくが負担になってたんでしょうか?

 

あなたが毎日、罵声を浴びせ続け、
プレッシャーをかけていたことは、
無関係なんですか?

ただ、そのときぼくは気持ちが動転していました。

 

「気づきませんでした。本当にすみませんでした。」

 

とにかく謝りました。
どうしようもないことをしでかしたかもしれない。
そう思いました。

 

ただ、様子がおかしいなんて、本当にわかりませんでした。
もともと柏崎さんが、うつ病だったことも知らなかったので、
アンテナをはっていませんでした。

 

『柏崎が死んだら、お前どうする気だ!!』

 

今まで聞いたことのないような、大きな声でした。

 

だけど、あなたには何の責任もないんですか?

 

柏崎さんが過去にうつ病になったことを知っていたなら
上司のあなたはケアしてあげられたんじゃないんですか?

 

なぜ、そんなに大きな声でさも柏崎さんがこうなったのは、
ぼくのせいだと言いきれるんですか?

 

そんなに、自分が責任を負いたくないんですか?

 

そんなに、自分の評価を下げたくないんですか?・・・・・

 

ただその時は、もうどうしていいのか、わかりませんでした。

 

(死んだら、しんだら、シンダラ・・・・)

もう頭がパニックになっていました。

・・・・・

 

幸い、柏崎さんは無事に生きていました。

ただ、うつ病を再発していました。

そして、その日から柏崎さんは会社を休職しました。

・・・・・

 

そのあとで、香川主任と2人で話をして、
これまでの柏崎さんのこと、この課の
ことについて教えてもらいました。

まとめると次のようなことです。

  • 柏崎さんは過去にうつ病で2度休職している。
  • 柏崎さんの休職は今回で3回目である。
  • この課では、柏崎さん以外にもうつ病患者はいた。
  • その方は2度の休職の後、退社した。
  • 杉田課長が下で働く者は、うつ病になる者が多い。

全く知りませんでした。

おそらく、工場実習の際に、
『杉田課長の下で働くのはかわいそう』と言われたことは、
最後の内容が原因だと思います。

・・・・・

 

ただ、柏崎さんの命が無事で本当に良かったです。

・・・・・

 

ぼくのうつ病発病まで、あと2年3カ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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公園に散歩に行ってきた

昨日、公園に散歩に行ってきた。

あったかくなってきたし、公園に散歩に行くのは
とても気持ちが良い。

そして桜が満開だった。

今日は雨だったから、もう散ったかな。

散る前に見ることができて、よかった。

きれいだったざます(ノ´∀`*)

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ぼくがうつ病を発病するまでの話 6

2007年2月  ぼくと柏崎さんは
新たな製品の開発に取り組むことになりました。

 

今回の開発は前回の製品と比べて、
会社にとっても重要なものであり、
大きな売上を期待している製品です。
いわゆるメシの種になるモノです。

ただ、設計を担当はぼくと柏崎さんだけでした。

・・・・・

 

ぼくたちの課では、新しい製品を設計することも仕事ですが、
流動中の製品に不具合がでたときの対応も仕事でした。

製品の不具合というものは、どれだけ事前評価をしても
発生する可能性をゼロにすることはできません。

そして、製品不具合は重なることが多いのです。

そのときも、不具合が重なり、それに人数を割かなければ
いけなかったので、どうしても設計に人数を回すことができませんでした。

ですから、設計は2人だけでした。
そして、そのときも毎日杉田課長から
罵声をあびせられました。

・・・・・

 

そして、設計を開始して1ヶ月後の
2007年3月事件は起こります。

それは、月曜日の朝のことでした。

・・・・

 

柏崎さんが会社に来ないのです。

時刻は10時を過ぎてました。

家に電話をかけても、携帯にかけても出ませんでした。

課内が騒ぎだしました。

そして、杉田課長が大声で叫びました。

『おい、またかー!』

 

そして杉田課長が大森部長へ伝えます。

『柏崎のやつまたです!』

 

ぼくは、何のことかわかりませんでした。
『また』とはどういう意味なのか?

 

ぼくが、配属されてからは、
柏崎さんが無断欠勤することなんてありませんでした。

そして、杉田課長が大森部長に大声で叫びました。

『あいつ、またうつ病再発ですよ!』

 

えっ・・・、

柏崎さんが『うつ病』

ぼくは、そのとき初めて知りました。

・・・・

 

『うつ病』、研究室時代に聞いたあの言葉でした。

・・・・

 

ぼくのうつ病発病まで、あと2年3カ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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ぼくがうつ病を発病するまでの話 5

2006年11月 ぼくはある製品設計に関わることになりました

 

このとき、ぼくは通勤手段を電車から自転車に変えていました。

なぜなら、終電の時間までには仕事を
おわらせることができないからです。

出社の時間も早めました。

仕事を効率化するための仕事術関連のビジネス書も
たくさん読み、実践しました。

それでも、終電には間に合わず、
帰る時間だいたい深夜1時くらいでした。
そして、朝は7時には出社します。

 

ここで、少しだけ雑談をさせてください。

ぼくは、この頃は独身で1人暮らしをしていました。
さすがに、深夜1時に帰ってそこから料理をする気には
なれませんので、ぼくの晩御飯はいつもコンビニ弁当でした。

だいたい、その時間にコンビニに行くと、
夜勤の店員さんがいます。そして次の日も朝も
そのコンビニにペットボトルのドリンクを買いに立ち寄るのですが、
昨日の夜勤店員さんと同じ店員さんなんですね。

・・・・

 

要は、その店員さんが働いている時間の内の
わずかな時間しか、ぼくは会社から出られないんです。
家にいる時間なんて、5時間程度だったと思います。

・・・・・

 

ただ、製品設計にたずさわれることもあり、
まだ、やる気はありました。

ただその製品に関しては、既存の製品を改良するだけという
簡単なものでしたので、設計も柏崎さんとぼくの
2人でやることになりました。

杉田課長からは毎日罵声を浴びせられました。

正直とても苦痛でした。

ただ、これも自分が成長するためには、
必要なことだと言い聞かせ、
自分自身を納得させました。

・・・・・

 

幸いその製品の設計は、無事に完了しました。

この頃が、一番仕事が順調に進んでいたと思います。

よい時期でした。

・・・・・

 

ぼくのうつ病発病まであと2年7ヶ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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ぼくがうつ病を発病するまでの話 4

2006年10月 ぼくは製品Aの設計課で業務をはじめました。
 

ぼくの課長は、実習中に工場先の方から
散々きびしいと言われた『杉田課長』です。

杉田課長の初見の印象は、
とにかく声の大きくて豪快というものでした。

そして、ぼくの教育係には、入社10年目の
『柏崎さん』がつくことになりました。

しばらくは、柏崎さんと一緒に仕事をして、
指導を受けながら業務を学びます。

柏崎さんは、見た目は怖いですが
しゃべるとやさしく、指導もきちんとしてくれました。
その時の印象は、頼りになる先輩というものでした。

もちろん、そのときは、
柏崎さんの過去のことも知りませんでした

・・・・・

 

最初の1週間は、とくに何事もなく過ぎて行きました。
毎日に8時30分に出社し、17時30分に帰ります。
いわゆる定時勤務です。残業なんてしませんでした。

・・・・・・
 

異変が起きたのは、翌週からです。

ぼくが定時に帰ろうとすると、杉田課長から声がかかりました。
課だけではなく、部内に響きわたるあの大きな声です。

『おい、善吉待て!』

『今日は、まだ帰るな!』

そういうと、ある業務を依頼されました。
内容は細かくは書きませんが、ある資料の手直しです。

 

『やり方は柏崎に聞け!』

指示内容はそれだけです。そして柏崎さんに指導を受け
内容がわかると、その手直しにかかります。

完成させたものを、まず柏崎さんに内容を確認してもらいます。
そしてOKが出れば、杉田課長に見てもらうのです。

 

「杉田課長、お忙しいところすみません、
資料の直し完成しましたので見ていただけますか?」

杉田課長が目を通します。

そこでこういうのです。

『おい柏崎、お前もこい!』

そして、柏崎さんとぼくへの大声での説教が始まります。
説教というよりも、罵声が浴びせられます。

その罵声は、部内全部に響きわたる大きな声でした。
はっきりいって、さらしものです。

 

そして、当然業務をやり直します。

完成したものを杉田課長に、また見せにいきます。

そこで、杉田課長はいうのです

『おい柏崎、お前もこい!』

そして、また罵声が浴びせられます。
この繰り返しでした。

 

結局、その日は終電に乗るために、
仕事を途中で帰ることになりました。

ちなみにぼくの課のみなさんは、
その時間も残って仕事をしていました。

部内でも、その時間になると
他の課は帰っていますが、ぼくの課は全員いました。

みなさん車通勤でしたので、
終電は気にしていないようでした。

・・・・・

 

そして、次の日も終電、その次の日も終電で帰りました。
結局その月は、ほとんど終電で帰ることになりました。

肉体的にも、疲労していましたが、
毎日、大声で怒鳴られることで精神的にも
疲労していたと思います。

ちなみに、このときの残業代ですが、
全額は出ていません。いわゆるサビ残です。

・・・・・

 

工場実習のときに、言われた

『1年目から、杉田さんの下じゃかわいそうだな』
この意味が少しだけ、わかりました。

・・・・・

 

ぼくのうつ病発病まであと2年8ヶ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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桜がきれいでした

今日は、通院日でした。

診察は、いつも通り面談だけで、
特に進展はなしでした。

お薬も、物資不足の影響もなく
1カ月分もらうことができました。

感謝です<(_ _*)> アリガトォ

そういえば、病院の外に咲いてる桜が
とてもきれいでした。

お花見したいな。
というより、酒のみたいな。

もう、どれくらい飲んでないだろ。

酒もってこい(*’с’*)ノ彡☆ばんばん!

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ぼくがうつ病を発病するまでの話 3

2006年8月 ぼくは製品Aの設計課に配属されました。
 

ぼくの会社では、配属されてすぐは
配属先で業務をせずに、自分達の課で
設計している製品を作る工場に実習に行きます。

ぼくの会社では設計部のある場所と工場のある場所は
全く違う場所でしたので、結局研修後も自分の部署には
いかずに工場へ行くということになりました。

そこで、自分達が設計している製品が
どのように作られているかを実習を通して学ぶのです。

・・・とされていましたが、単純に工場に人手が足りないから
それを解消するために呼ばれただけです。

 

当時、まだ景気もよく、ぼくの会社の製品も作れば
売れるという状況でした。

実際、工場実習の予定は1カ月でしたが、人手不足が
解消するまで、結局2カ月間の実習をすることになりました。

ただ、それだけの期間実習を工場にいれば、
自然と工場の工場の方たちとも仲良くなります。

 

そして、たびたびこんな話をするのです。

『善吉君はどの部署に配属されたの?』

「はい、製品Aのハードウェア設計課です」

『Aのハード設計?、杉田さんのとこだね』

「はい、直属の上司は杉田課長です」

『そうなんだ・・・。1年目から、かわいそうに・・・』

そこから、なぜかわいそうなのかを
聞いても、あの人は厳しいからねとしか
教えてくれませんでした。

・・・・・
 

このような感じの会話が、実習中に
何度も行われました。

少しだけ不安になり、嫌な気持になりました。

・・・・・

 

ただ、厳しさだけなら研究室時代も十分厳しい
環境だったと自負していましたので、
きっと大丈夫だと思っていました。

そして10月、工場実習も終わり、
いよいよ自分の部署で仕事が始まろうとしていました。

・・・・・

 

ぼくのうつ病発病まであと2年9ヶ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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人間関係を良好にすることで、うつ病を治療・予防する

人間関係はとてもストレスがたまりやすいものです。
仕事上の悩みでも、突き詰めていけば対人関係が
原因ということがよくあります。

つまり、うつ病の治療・予防のためには対人関係を良好にする
スキルを身につけることは大切です。
そのスキルとはコミュニケーション能力です。

ここでは、コミュニケーションにおいて
重要なポイントを紹介します。

コミュニケーションにおける重要なポイント

  • わからないことは、はっきり聞く
  • (適当に相槌を打つ、その場しのぎはやめましょう)

  • 相手の話は最後まで聞く
  • (勝手に内容を解釈してはいけません)

  • してほしいことは言葉で伝える
  • (言わなければ相手にはつたわりません)

  • できないことは、はっきり断る
  • (できない理由を明確にすれば相手もわかってくれます)

  • 強い口調で責められたときは受け流す
  • (反省しても、ひきづらないことです)

  • 自分に自信を持つ
  • (へりくだってペコペコばかりする必要はありません)

  • できるだけ笑顔でいる
  • (眉間にしわ寄せてばかりでは、精神的によくありません)

  • 自分で解決できない問題はすぐに相談する
  • (何でも、1人で抱え込まないことです)

などがポイントとして挙げられます。

コミュニケーションについては、たくさん本も出ているので、
ぜひ、読んで勉強してくださいね。

善吉の場合

善吉はいつも眉間にしわを寄せて仕事をしていました。
他にうつ病で休職した方も、ずっと眉間にしわを寄せていました。
 

善吉の知る限り、うつ病の人は、
いつも眉間にしわを寄せて頭を抱えています。
いつも笑顔でいる人に、うつ病の人はいません。

 
笑顔って、実はすごく大切ですよ(*´∇`*)

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食生活を工夫することで、うつ病を治療・予防する

食事に関しては、専門家によっても意見が様々であるため、
基本的なことだけを紹介します。

食事を工夫してうつ病を治療、予防しよう

  • 朝食はしっかりとる
  • (朝食を抜くことで、生活のリズムがくずれます)

  • お酒はひかえる
  • (アルコールに依存するうつ病患者は多いです。
    また、医者から止められたら絶対に飲まないでください!)

  • コーヒーやお茶は飲みすぎない
  • (質の高い睡眠を取るために、カフェインは控えめに)

  • ゆっくり食事をとる
  • (ゆったりした気持ちを持つことが大切です)

  • 栄養バランスのとれた食事をとる
  • (当たり前ですが、野菜もちゃんと食べましょう)

以上が、食事をする上で重要なポイントです。

善吉の場合

善吉は、うつ病によい食べ物を奥さんや両親が調べてくれて、
すすめられたものを食べていました。

また善吉も、自分でうつに良い食事に関する本を
買って勉強し、紹介されているものを食べました。

効果ですか?

正直なところわかりません(^▽^;)

まぁ、回復してきてるので効果は出ていると思います。

ただ、上に書いた内容については、
正しいことですので、食事に関しては
最低限それは守ってください。

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