ぼくがうつ病を発病するまでの話 4

2006年10月 ぼくは製品Aの設計課で業務をはじめました。
 

ぼくの課長は、実習中に工場先の方から
散々きびしいと言われた『杉田課長』です。

杉田課長の初見の印象は、
とにかく声の大きくて豪快というものでした。

そして、ぼくの教育係には、入社10年目の
『柏崎さん』がつくことになりました。

しばらくは、柏崎さんと一緒に仕事をして、
指導を受けながら業務を学びます。

柏崎さんは、見た目は怖いですが
しゃべるとやさしく、指導もきちんとしてくれました。
その時の印象は、頼りになる先輩というものでした。

もちろん、そのときは、
柏崎さんの過去のことも知りませんでした

・・・・・

 

最初の1週間は、とくに何事もなく過ぎて行きました。
毎日に8時30分に出社し、17時30分に帰ります。
いわゆる定時勤務です。残業なんてしませんでした。

・・・・・・
 

異変が起きたのは、翌週からです。

ぼくが定時に帰ろうとすると、杉田課長から声がかかりました。
課だけではなく、部内に響きわたるあの大きな声です。

『おい、善吉待て!』

『今日は、まだ帰るな!』

そういうと、ある業務を依頼されました。
内容は細かくは書きませんが、ある資料の手直しです。

 

『やり方は柏崎に聞け!』

指示内容はそれだけです。そして柏崎さんに指導を受け
内容がわかると、その手直しにかかります。

完成させたものを、まず柏崎さんに内容を確認してもらいます。
そしてOKが出れば、杉田課長に見てもらうのです。

 

「杉田課長、お忙しいところすみません、
資料の直し完成しましたので見ていただけますか?」

杉田課長が目を通します。

そこでこういうのです。

『おい柏崎、お前もこい!』

そして、柏崎さんとぼくへの大声での説教が始まります。
説教というよりも、罵声が浴びせられます。

その罵声は、部内全部に響きわたる大きな声でした。
はっきりいって、さらしものです。

 

そして、当然業務をやり直します。

完成したものを杉田課長に、また見せにいきます。

そこで、杉田課長はいうのです

『おい柏崎、お前もこい!』

そして、また罵声が浴びせられます。
この繰り返しでした。

 

結局、その日は終電に乗るために、
仕事を途中で帰ることになりました。

ちなみにぼくの課のみなさんは、
その時間も残って仕事をしていました。

部内でも、その時間になると
他の課は帰っていますが、ぼくの課は全員いました。

みなさん車通勤でしたので、
終電は気にしていないようでした。

・・・・・

 

そして、次の日も終電、その次の日も終電で帰りました。
結局その月は、ほとんど終電で帰ることになりました。

肉体的にも、疲労していましたが、
毎日、大声で怒鳴られることで精神的にも
疲労していたと思います。

ちなみに、このときの残業代ですが、
全額は出ていません。いわゆるサビ残です。

・・・・・

 

工場実習のときに、言われた

『1年目から、杉田さんの下じゃかわいそうだな』
この意味が少しだけ、わかりました。

・・・・・

 

ぼくのうつ病発病まであと2年8ヶ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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