ぼくがうつ病を発病するまでの話 10

2009年3月 ぼくは新しいプロジェクトに
携わることになりました。

 

ただ、人手があきらかに足りませんでした。

いくら徹夜しても、
いくらサービス残業をしても、あきらかに
まかなえないほどの仕事量でした。

そこで、苦肉の策が実施されました。

その内容は他の部署から、
人員を回してもらうというものです。

・・・・・
 

ぼくの下にも、他の部から
来た方が2名つくことになりました。

ただ、この人員を回してもらうのにも、
何もできない人が来ては、0から指導しなくてはいけません。

とてもじゃないけど、納期を考えると
指導をしている余裕はありませんでした。

 

そこで、人員を回してもらう際に、
事前にこういう実験ができる人、
こういうソフトが使えて
図面が書ける人という条件を出していました。

・・・・・

 

しかし、実際にぼくの下についてくれた方は、
その条件をどれも満たさない方でした。

杉田課長には、もちろんその旨を伝えましたが、
おれは相手の部署にきちんと伝えたの
1点ばりで、対応はしてくれませんでした。

結局、その2人には実験の仕方、
図面の書き方などを指導するところから
スタートです。

・・・・・
 

しかし、その方達は定時になると
帰ってしまいます。

サービス残業などしてくれませんでした。

サービス残業の強要なんて、
ぼくにはできませんでした。

サービス残業は法律に違反する行為ですから当たり前です。

・・・・・

 

結局、ぼくが3人分の仕事をする形になりました。

もう限界を超えていました。

・・・・

 

笑うこともなくなりました。

 

家にいても、会社にいても、ずっと下を向いていました。

 

酒を飲まなくては寝れなくなりました。

 

ウィスキーのボトルを1日1本あけていました。

 

朝の4時に目が覚めるのに、ベッドから出られませんでした。

 

ベッドの中で泣いていました。

 

起き上っても、意識がもうろうとしていました。

 

何度も車に飛び込もうとしました。

 

とにかくラクになりたかったです。

 

本当に死にたかったです。

・・・・・

 

ぼくのうつ病発病まであと1ヶ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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