うつ病のときに励まされた言葉~中辛編1~

ここでは、善吉が闘病時代に聞いたり、読んだりして
励まされた言葉をご紹介します。

これらの言葉が少しでもあなたに元気を
与えてくれれば、とてもうれしいです。

闘病時代に励まされた言葉~中辛編 1~

下を向いてはなりません。
いつも頭を高くあげていなさい。
そして世界をまっすぐに見るのです。

(ヘレン・ケラー)

 

明日からがんばるんじゃない。
今日をがんばり始めた者にのみ明日がくるんだよ!

(班長 賭博破壊録カイジ)

 

こんな人生はどんなにつらくても生きるに値する。
そのために必要なものは、
勇気と想像力とほんの少しのお金だ。

(チャーリー・チャップリン ライムライト)

 

泣くな。

(赤木剛憲 SLAM DUNK)

 

他人を負かすってのは
そんなむずかしい事じゃあないんだ…
もっとも『むずかしい事』は!
いいかい!もっとも『むずかしい事』は!
『自分を乗り越える事』さ!

(岸辺露伴 ジョジョの奇妙な冒険 )

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2011/04/13 | コメント/トラックバック(2)|

カテゴリー:中辛編

うつ病のときに励まされた言葉~甘口編1~

ここでは、善吉が闘病時代に聞いたり、読んだりして
励まされた言葉をご紹介します。

これらの言葉が少しでもあなたに元気を
与えてくれれば、とてもうれしいです。

闘病時代に励まされた言葉~甘口編1~

なにがきみのしあわせ、なにをしてよろこぶ
わからないままおわる、そんなのはいやだ!

(やなせたかし)

 

マイナスの経験をした人は有利です。
してない人は、人の気持ちがわからなくなってきている。
わからないことすら、気づかずに生きてしまう。

(山田 太一)

 

心を開いて『YES』といってごらん。
すべてを肯定してみると、答えがみつかるもんだよ

(ジョン・レノン)

 

食べて飲んで楽しく過ごすのだ。
明日のダイエットにそなえて。

(ノーラ・ゼラバック)

 

『負けたことがある』というのが、
いつか大きな財産になる。

(堂本監督 SLAM DUNK)

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2011/04/11 | コメント/トラックバック(2)|

カテゴリー:甘口編

ぼくがうつ病を発病するまでの話 7

2007年3月 柏崎さんが会社を無断欠勤しました。

 

そのとき課内が、とても騒がしくなりました。

そして杉田課長の号令ですぐに、
香川主任が柏崎さんの家に迎いました。

柏崎さんの安否の確認のためです。
自殺している可能性もあるからです。

また柏崎さんは、実家を離れて1人暮らしでしたので、
実家へも帰省していないか確認の電話をいれました。
実家には、帰られていませんでした。

そして、杉田課長がぼくを呼びつけます。

『なんで、様子がおかしいことに気づかないんだ!!!』

『一緒に仕事してたら、わかるだろっ!!!』

『お前が負担をかけてたんじゃないのか!!!』

・・・・・
 

正直、様子がおかしいことなんて、
ぼくは気づきませんでした。

 

ぼくが、そんなに負担になってるなんて
わかりませんでした。

 

一緒に協力して、がんばっている気になっていました。

 

本当にぼくが負担になってたんでしょうか?

 

あなたが毎日、罵声を浴びせ続け、
プレッシャーをかけていたことは、
無関係なんですか?

ただ、そのときぼくは気持ちが動転していました。

 

「気づきませんでした。本当にすみませんでした。」

 

とにかく謝りました。
どうしようもないことをしでかしたかもしれない。
そう思いました。

 

ただ、様子がおかしいなんて、本当にわかりませんでした。
もともと柏崎さんが、うつ病だったことも知らなかったので、
アンテナをはっていませんでした。

 

『柏崎が死んだら、お前どうする気だ!!』

 

今まで聞いたことのないような、大きな声でした。

 

だけど、あなたには何の責任もないんですか?

 

柏崎さんが過去にうつ病になったことを知っていたなら
上司のあなたはケアしてあげられたんじゃないんですか?

 

なぜ、そんなに大きな声でさも柏崎さんがこうなったのは、
ぼくのせいだと言いきれるんですか?

 

そんなに、自分が責任を負いたくないんですか?

 

そんなに、自分の評価を下げたくないんですか?・・・・・

 

ただその時は、もうどうしていいのか、わかりませんでした。

 

(死んだら、しんだら、シンダラ・・・・)

もう頭がパニックになっていました。

・・・・・

 

幸い、柏崎さんは無事に生きていました。

ただ、うつ病を再発していました。

そして、その日から柏崎さんは会社を休職しました。

・・・・・

 

そのあとで、香川主任と2人で話をして、
これまでの柏崎さんのこと、この課の
ことについて教えてもらいました。

まとめると次のようなことです。

  • 柏崎さんは過去にうつ病で2度休職している。
  • 柏崎さんの休職は今回で3回目である。
  • この課では、柏崎さん以外にもうつ病患者はいた。
  • その方は2度の休職の後、退社した。
  • 杉田課長が下で働く者は、うつ病になる者が多い。

全く知りませんでした。

おそらく、工場実習の際に、
『杉田課長の下で働くのはかわいそう』と言われたことは、
最後の内容が原因だと思います。

・・・・・

 

ただ、柏崎さんの命が無事で本当に良かったです。

・・・・・

 

ぼくのうつ病発病まで、あと2年3カ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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ぼくがうつ病を発病するまでの話 6

2007年2月  ぼくと柏崎さんは
新たな製品の開発に取り組むことになりました。

 

今回の開発は前回の製品と比べて、
会社にとっても重要なものであり、
大きな売上を期待している製品です。
いわゆるメシの種になるモノです。

ただ、設計を担当はぼくと柏崎さんだけでした。

・・・・・

 

ぼくたちの課では、新しい製品を設計することも仕事ですが、
流動中の製品に不具合がでたときの対応も仕事でした。

製品の不具合というものは、どれだけ事前評価をしても
発生する可能性をゼロにすることはできません。

そして、製品不具合は重なることが多いのです。

そのときも、不具合が重なり、それに人数を割かなければ
いけなかったので、どうしても設計に人数を回すことができませんでした。

ですから、設計は2人だけでした。
そして、そのときも毎日杉田課長から
罵声をあびせられました。

・・・・・

 

そして、設計を開始して1ヶ月後の
2007年3月事件は起こります。

それは、月曜日の朝のことでした。

・・・・

 

柏崎さんが会社に来ないのです。

時刻は10時を過ぎてました。

家に電話をかけても、携帯にかけても出ませんでした。

課内が騒ぎだしました。

そして、杉田課長が大声で叫びました。

『おい、またかー!』

 

そして杉田課長が大森部長へ伝えます。

『柏崎のやつまたです!』

 

ぼくは、何のことかわかりませんでした。
『また』とはどういう意味なのか?

 

ぼくが、配属されてからは、
柏崎さんが無断欠勤することなんてありませんでした。

そして、杉田課長が大森部長に大声で叫びました。

『あいつ、またうつ病再発ですよ!』

 

えっ・・・、

柏崎さんが『うつ病』

ぼくは、そのとき初めて知りました。

・・・・

 

『うつ病』、研究室時代に聞いたあの言葉でした。

・・・・

 

ぼくのうつ病発病まで、あと2年3カ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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ぼくがうつ病を発病するまでの話 5

2006年11月 ぼくはある製品設計に関わることになりました

 

このとき、ぼくは通勤手段を電車から自転車に変えていました。

なぜなら、終電の時間までには仕事を
おわらせることができないからです。

出社の時間も早めました。

仕事を効率化するための仕事術関連のビジネス書も
たくさん読み、実践しました。

それでも、終電には間に合わず、
帰る時間だいたい深夜1時くらいでした。
そして、朝は7時には出社します。

 

ここで、少しだけ雑談をさせてください。

ぼくは、この頃は独身で1人暮らしをしていました。
さすがに、深夜1時に帰ってそこから料理をする気には
なれませんので、ぼくの晩御飯はいつもコンビニ弁当でした。

だいたい、その時間にコンビニに行くと、
夜勤の店員さんがいます。そして次の日も朝も
そのコンビニにペットボトルのドリンクを買いに立ち寄るのですが、
昨日の夜勤店員さんと同じ店員さんなんですね。

・・・・

 

要は、その店員さんが働いている時間の内の
わずかな時間しか、ぼくは会社から出られないんです。
家にいる時間なんて、5時間程度だったと思います。

・・・・・

 

ただ、製品設計にたずさわれることもあり、
まだ、やる気はありました。

ただその製品に関しては、既存の製品を改良するだけという
簡単なものでしたので、設計も柏崎さんとぼくの
2人でやることになりました。

杉田課長からは毎日罵声を浴びせられました。

正直とても苦痛でした。

ただ、これも自分が成長するためには、
必要なことだと言い聞かせ、
自分自身を納得させました。

・・・・・

 

幸いその製品の設計は、無事に完了しました。

この頃が、一番仕事が順調に進んでいたと思います。

よい時期でした。

・・・・・

 

ぼくのうつ病発病まであと2年7ヶ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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ぼくがうつ病を発病するまでの話 4

2006年10月 ぼくは製品Aの設計課で業務をはじめました。
 

ぼくの課長は、実習中に工場先の方から
散々きびしいと言われた『杉田課長』です。

杉田課長の初見の印象は、
とにかく声の大きくて豪快というものでした。

そして、ぼくの教育係には、入社10年目の
『柏崎さん』がつくことになりました。

しばらくは、柏崎さんと一緒に仕事をして、
指導を受けながら業務を学びます。

柏崎さんは、見た目は怖いですが
しゃべるとやさしく、指導もきちんとしてくれました。
その時の印象は、頼りになる先輩というものでした。

もちろん、そのときは、
柏崎さんの過去のことも知りませんでした

・・・・・

 

最初の1週間は、とくに何事もなく過ぎて行きました。
毎日に8時30分に出社し、17時30分に帰ります。
いわゆる定時勤務です。残業なんてしませんでした。

・・・・・・
 

異変が起きたのは、翌週からです。

ぼくが定時に帰ろうとすると、杉田課長から声がかかりました。
課だけではなく、部内に響きわたるあの大きな声です。

『おい、善吉待て!』

『今日は、まだ帰るな!』

そういうと、ある業務を依頼されました。
内容は細かくは書きませんが、ある資料の手直しです。

 

『やり方は柏崎に聞け!』

指示内容はそれだけです。そして柏崎さんに指導を受け
内容がわかると、その手直しにかかります。

完成させたものを、まず柏崎さんに内容を確認してもらいます。
そしてOKが出れば、杉田課長に見てもらうのです。

 

「杉田課長、お忙しいところすみません、
資料の直し完成しましたので見ていただけますか?」

杉田課長が目を通します。

そこでこういうのです。

『おい柏崎、お前もこい!』

そして、柏崎さんとぼくへの大声での説教が始まります。
説教というよりも、罵声が浴びせられます。

その罵声は、部内全部に響きわたる大きな声でした。
はっきりいって、さらしものです。

 

そして、当然業務をやり直します。

完成したものを杉田課長に、また見せにいきます。

そこで、杉田課長はいうのです

『おい柏崎、お前もこい!』

そして、また罵声が浴びせられます。
この繰り返しでした。

 

結局、その日は終電に乗るために、
仕事を途中で帰ることになりました。

ちなみにぼくの課のみなさんは、
その時間も残って仕事をしていました。

部内でも、その時間になると
他の課は帰っていますが、ぼくの課は全員いました。

みなさん車通勤でしたので、
終電は気にしていないようでした。

・・・・・

 

そして、次の日も終電、その次の日も終電で帰りました。
結局その月は、ほとんど終電で帰ることになりました。

肉体的にも、疲労していましたが、
毎日、大声で怒鳴られることで精神的にも
疲労していたと思います。

ちなみに、このときの残業代ですが、
全額は出ていません。いわゆるサビ残です。

・・・・・

 

工場実習のときに、言われた

『1年目から、杉田さんの下じゃかわいそうだな』
この意味が少しだけ、わかりました。

・・・・・

 

ぼくのうつ病発病まであと2年8ヶ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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ぼくがうつ病を発病するまでの話 2

2006年4月 ぼくは電機メーカーに入社をしました。

第一志望の企業でしたので、たいへんうれしく
希望、情熱、やる気で胸があふれていましました。

入社式では、社長と新入社員全員が1人ずつ
握手していくのですが、その握手がとても力強く
気持ちが高ぶったのを覚えています。

2008年のリーマンショックが起きる前でしたので、
景気も良く企業自体に元気があるときでした。
 

それから、新入社員研修に入るのですが、
ぼくは技術職での入社でしたので、
通常の社会人としての一般知識を学ぶ研修に加え、
技術研修もあり、8月までは新人研修の日々でした。

そして、研修後は配属される部署が発表されます。
ぼくは、回路設計エンジニアを目指していたので
それを実現できる部署の配属を希望していました。

配属前の人事部との面談の際も、
その気持ちを強く伝えました。

・・・・・
 

結果、ぼくはある製品の
ハードウェア設計課に配属されました。

同期でその課に配属されたのは、ぼくだけでした。
同期がいないという、不安も少しありました。

ただ、配属されたのは、ハードウェアの設計課です。
つまり回路の設計ができるんです。

ぼくの希望が叶ったのです。
本当にうれしかったです。

やりたかったことを仕事にできる。夢が叶う。

・・・・・
 

そのときは、何もかもが順調に進んでいると思っていました。

・・・・・
 

ぼくのうつ病発病まであと2年11ヶ月

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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思考方法を変えることで、うつ病を治療・予防する

うつ病は過度なストレスが原因で発症する病気です。
ただし、精神的なストレスは自分に起きた出来事を
どうとらえるかによって緩和させることができます。
ここでは、そのことを具体例を交えて紹介します。

思考方法を変えることで、うつ病を治療・予防する

同じ出来事がおきても、
人によってその出来事のとらえ方は違います。

例えば、外出していたときに、
家に泥棒が入られたとします。

このときA君は、こう思いました。

『わー泥棒が入られた!家に置いてあった現金が
10万円もとられた!!もう最悪(;へ:)イヤッ』

 

このときBさんは、こう思いました。

『わー泥棒に入られた!でも幸いキャッシュカードは
財布に入れてたから無事だし、何より命が助かったわ。
それに、お家にいたら怖い目にあってたかもしれないし、
10万円だけで済んで本当によかった(*´∇`*) 』

 

これは、極端な例ですが、あなたは起きた出来事に対して、
様々な考え方をすることができます。

つまり出来事は1つでも、とらえ方は無数にあるのです。

ですから、自分が考えた結論が決して正しいとは限らず、
他にも様々な考え方があることを理解しなくてはいけません。

このように、柔軟な考え方を身につけて、
悲観的な思考ばかりをしない考え方を変えることは、
うつ病の治療、予防につながります。

そして、この考え方を身につけることが
精神療法の1つである『認知療法』です。

 
『認知療法』については、先生により
行わない方もいるため、そのときは先生と相談して、
書籍やDVD教材で学ぶことをおすめします。

善吉の場合

善吉の担当の先生は認知療法を
実施しなかったので、自分で教材を使用して学びました。

認知療法について、通院してからもその存在のことは
知りませんでしたが、奥さんがNHKの番組で
紹介されているのを見て、善吉に教えてくれました。

認知療法は、通常デスクワークでできる内容なので、
自学自習は可能です。

善吉の場合、DVD教材⇒書籍教材というステップで
認知療法を学びました。

えっ、なんで、DVD教材にしたのか?

見てるだけで、楽そうだったからです(>▽<;

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ぼくがうつ病を発病するまでの話 1

2009年6月 ぼくはうつ病と診断されました。

入社4年目のことでした。

・・・・・
 

少し時間をさかのぼって、ぼくの学生時代のお話をはじめさせてください。

大学・大学院では電気電子工学を専攻し、将来は回路設計の
エンジニアになることを志望していました。

ちなみに、ぼくは大学に入学するまで少し回り道をしたので、
ストレートで進学してきた人よりも2歳年上になります。
ですから、プロフィールの年齢は間違いではありません^^;

学生時代に最も力を入れて、取り組んだことは研究活動です。
ぼくの研究室は、学科内でも指導が厳しいと有名なところでした。

研究のために、帰宅が深夜になること、
実験、論文、資料作成で徹夜することは、日常茶飯事です。

そして、研究成果を出すことに対して、教官の指導は
たいへん厳しく、結果を出さない学生は定期的に行われる
研究成果発表の場において、全員の前で徹底的に責められます。

その場にいるだけで、胃が痛くなり気分が悪くなる空気でした。

・・・・
 

そのような研究室でしたので、毎年学年の内で1~2人は、
研究半ばにして、研究室に来なくなります。

そこで、研究室の先輩がこう口にするのです。

『あいつも、うつ病になったか』

・・・・・
 

そのときはじめて、『うつ病』という言葉を知りました。

まだ、世間でもうつ病という言葉が、
今ほど浸透していない頃です。

ぼくも、うつ病がどういうものか、全く知りませんでした。

研究室の同級生が来なくなったときも、
2日も休めば、元気になるだろうと能天気に考えていました。

・・・・・
 

結局、来なくなった学生は、
数ヶ月から1年以上休むことになります。
退学する者もいます。

そして、復帰した学生は、簡単な研究テーマを与えられるか、
他の研究室へ移動することになります。

・・・・
 

そのような、厳しい環境でしたので、研究室のOBの方達からは
『この研究室でやってこれたなら、社会にでても十分通用する』
とよく言われました。

卒業の頃には、この研究室でやってこれたことが
ぼくの中で大きな自信となっていました。

きっと、社会にでてもエンジニアとして
順調に成長していけると思っていました。

明るい未来が待ってると、そう信じていました。

そして、ぼくが『うつ病』になるなんて
これぽっちも思っていませんでした。

・・・・
 

ぼくのうつ病発病まで、あと3年3ヶ月。

※この闘病記に登場する人物の名前は
仮名であり、実在する人物ではありません。

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睡眠の質を高めることで、うつ病を治療・予防する

うつ病を治すためには、休養が必要ですから
質の高い睡眠が求められます。

また、普段から質の高い睡眠をとることで、
しっかり休養することができれば、うつ病の予防にもつながります。
質の高い睡眠を取り、朝日と共に目覚めて、
太陽の光を浴び、規則正しい生活をしましょう。

ここでは、質の高い睡眠をとるための
ポイントについて紹介します。

質の高い睡眠をとるためのポイント

  • 昼寝を長時間しない
  • (30分程度で十分です)

  • 寝酒をしない
  • (お酒に関しては、薬の作用との相互関係もあるので、
    飲んでもよいかどうか、先生にきちんと確認してください)

  • 軽くストレッチをする
  • (寝る前の激しい運動は目が冴えるので、軽いストレッチ)

  • リラックスする音楽を聴く
  • (聴きながら、寝ても良い)

  • 照明はできれば、明るくしない
  • (薄暗くして、寝た方が快眠しやすい)

  • 自分に合った寝具を使う
  • (寝具によっては、疲労が抜けづらい)

  • 決まった時刻に起きる
  • (寝る時間は変わっても、起床時間は守る)

以上が質の高い睡眠をとるためのポイントです。

どうしても、寝れない場合は担当医に相談して、
睡眠薬を処方することを検討してください。

善吉の場合

善吉は、通院前はお酒をがぶ飲みしなければ
眠れない状態でした。

うつ病になる前まで、お酒なんて飲み会でしか
飲んでませんでしたが、その頃は1日に
ウイスキーのボトル1本を空けていました (o_ _)/(酒)ドン

ただ、それでもすぐには寝付けずに、
寝ても2、3時間で目が覚めていました。

(。-ω-)zzz. . . (。゚ω゚) ハッ!

通院後は、お酒を止められたので、
なかなか眠れませんでした。

そこで、しっかり寝るために何をすれば良いか
調査をして、実践した中で結果が出たのが上記のポイントです。

この中に、あなたに合う
安眠方法があれば嬉しいです(*´∇`*)

(o_ _)o.。oOOグゥグゥ・。・。・。zzzZZZ

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